masatakaのブログ

え?そこまで言っちゃうの?!うつ病を経験した27歳が思わず目をそむけたくなる記事を全ての人々に発信してしまう新感覚ブログ

人が人に向かって「ありがとう」と言ってるのを見て思ったこと。

大人になればなるほど会話の中に感謝の言葉や労いの言葉を含ませる事が多くなってくると思う。

私も実感しているその一人であり、きっと皆さんもそうであると確信している。

 

考えてみればこの社会で生きて行くなんてとてもバカらしいことだ。

それはお金が関係することであればあるほど痛感する。

バスの運転手だろうと、国会議員だろうと

確かにその体を動かしているのは何かしら人の本能や本質なのかもしれないけど

そこにお金は本当に必要なんだろうかって思い始めている。

お金を払って得るものを大きくする代わりに、人の命を削りすぎではないだろうか。

この世界をよく見てみれば、今の世の中精神的な病気とその話題が多すぎる。

一人の人間が何らかのストレスを解消するために、他の人がそのストレス以上のストレスを感じながら対価(サービスなど)を与え、またその人がストレスを解消するために、他の人がそれ以上の…略

もし人間より人間を客観的に見ることができる生物がいるなら、

これほどまでに自分達の負の連鎖を抜けられない馬鹿げている生物(人間)を観察するのはとても面白いだろう。

もしできるのなら一度体験してみたい。

 

そこで今日はこんな事を感じた。

自分が人に「ありがとう」と伝えるのはとてもふつうの事なんだが、

他の人が誰かに「ありがとう」と伝えているのを見て、とても不思議な感覚に包まれた。

何故あの人はありがとうなんて言葉を言うのだろう?とただただ疑問に感じたのだ。

そこでこう思った。

「俺の言っているありがとうなんて、何万回の中のたったの一回で、

さほど必要ないのではないか?しかし積み重ねと言う概念からして無駄ではないはず

しかし何故こうも無駄に感じるのだろう…?」

それはきっとこうなんだと今は少し思っている。

「ありがとうよりも、いくらかの金銭を渡してもらう方が、今の世の中何倍も嬉しいし、現に言葉だけではどうにもならないリアルを生きてきた人間という生物の正しい判断機能であるんだ」と。

つまりこのありがとうの言葉は言ってもらえて嬉しいと思える十分な心の余裕と

言ったうえで自分も相手に劣ってないという十分な心の余裕が必要になるんだと思った。

 

 

考えてみればずっとそういうことが起きている、その一つの例として

店の店員に対して横柄な態度を取る客がすごく馬鹿に見える。

店員と言う肩書の人間が、お客という肩書の人間に、こういう風に接してあげれば人間は気持ちよく感じ、優越感を感じる生き物だからそういう風にしているのと、対価としてお金をもらえるからお客に接するのに、それを理解していない馬鹿な客は、その店員が無償で、何も言わない都合のいい存在だと勝手に勘違いをし、偉そうな態度をとって怒ったり、小さい事にクレームをつけたり、上から目線で言ったりするのである。

見ていてすごく可哀想になってくるのが抑えられない。

⋆馬鹿な客とは皆さんが見てきた当てはまる存在で問題ありません。

 

私からすればありがとうという言葉はもっと重く、命の事に関わるうえで初めて出現するとてもレアな言葉だと認識するし、これからもそういう風に何年かは思い続けるだろう。